Tuesday, February 4, 2020

「人権」または「福祉政策」という「合成の誤謬」

過去の投稿で既に述べたように、「人権」は「代償を払って贖うもの」であることが忘れ去られ
「生まれながらにして保障されるべきもの」となってしまった。
これにより、「人権を維持するコスト」という観点も消滅してしまった。

これにより「人権のコストは他人に考えさせて、とにかく人権を訴えて国家予算を分捕れば利権にできる」
という政治手法が成立した。
しかし、「誰かの人権を守ること」は「違う誰かに増税すること」を意味する。
ここに「人権を都合よく使って自分だけいい顔をしつつ、そのコストをいかに他人に背負わせるか」
という「商売」が成立した。

「福祉」という言葉はとても正しいように見える。
しかし、「福祉が必要になる事態が無ければ、そもそも福祉政策など要らない」のである。
福祉政策を考える以上に、個々人の収入が増えるように、もっと付加価値を生み出して
稼げるように自立を促し社会の問題を解決するほうがより重要なはずである。
「収入が少ない人」を探し出して「税金をそこに流す政策」を打ち立てる行為は
「結局、人権を盾にして税金をばらまき、その実績を盾にして自分の支持者を増やす行為」に過ぎない。

「人権」を守るための費用は「成立以降、固定費として永遠に支出が発生する費目」となる。
「福祉政策に力を入れれば入れるほど、そのコストを違う誰かに背負わせて結局増税する羽目になる」。

福祉政策にかかるコストは固定費として一方的に積みあがるだけなのでまず減ることは無い。
不景気になって税収が下がっても、福祉政策の費用を削ると猛反対が起きてそういう政治家や政党は落選していく。
そしていつしか福祉政策の予算は国の財政を圧迫して寧ろ国家財政を破綻させる事態になる。
すると福祉政策で保護されている者は生活が守られ、一般人はそのコストを背負わされるという
「福祉による階級社会」が成立し、「福祉で守られる立場に入れてくれる政党に従う者が特権階級」となる。
これにより「自分の支持者に福祉政策で税金を注入し囲い込み、自分を支持しない者には福祉政策の恩恵を剥ぎ取って税金を支払わせる」
という「福祉を使った国家内封建制度」が完成する。

このように、
「自分だけをいい人に見せて、そのコストを増税の形でその他の一般人に支払わせる」のが
「福祉の党」の本質である。



同様のことが「平和」政策についても言える。
人権は、結局のところ、実力行使の能力によってしか保障されない。これはかこの投稿で記述した。
そもそも平和とは、戦争の終わりから次の戦争へ至るまでの準備期間に過ぎず、そしてまた戦争は
例外なく経済問題の解決のために選択される。

ゆえに、「戦争したくないなら自分自身を含めた世界の経済問題を積極的に解決してゆくしかない」のである。
要するに「食い詰めたら誰だって武器を手にして他人の物を奪い始める」のである。なぜなら

 「食い詰めなければならないほど自分を拒絶し打ち捨てた世界など、社会など、他人など、
  ぶち壊しても殺戮しても心は痛まない」からである。

「衣食足りて礼節を知る」の言葉通り、自分の力で働いて収入を得て、
他人の役に立つことで・世の中の役に立つことで日々の暮らしを営める「自己効力感」があってはじめて
人は人としての尊厳を自覚し自立して生きていくことができる。


また、さまざまな天然資源がある地域は、その資源の所有をめぐって奪い合いが起こる。
中東の原油などはよい例である。あと100年もすれば、本当に何もない砂漠と荒れ地になるだけなのに、
原油の利権をめぐって欧米諸国の代理戦争を繰り返して消耗するばかり。
将来の子孫に天然資源をいかに残すかなど考えもせずに今だけ豪華な暮らしをしている中東の王族を見ていると
本当に目先のことしか考えていないと呆れるしかない。
こうした「資源をめぐる争い」がある限り戦争はなくならない。
ならばその奪い合いをどう調停するのか?どうすればその調停に立つ資格を得られるのか?
を考えて実践しなければならない。


それなのに、条件反射的に「武力行使に制限をかけて平和の実現を勝ち誇る」という思考の短絡した傲慢が
日本ではまかりとおっている。
これは「平和という概念の本質を全く分かっていない」といってよい。


ヒトがヒトと争わねばならない事態の本質を解決しようともしないで、
ただ単純に「武力行使に歯止めをかければそれが平和への取り組みだ」とか
物事の表面しか見ていない薄っぺらな思考回路をさらして恥じない無能でしかない。
自分たちだけが武力行使に制限をかけた分、自分たちの平和()は違う誰かがそのコストを支払って守っているのである。
その誰かが永遠に自分たちを守ってくれる保障が無い以上、私たちは私たち自身の手で私たちを守れるよう、
備えを万全にし力をつけなければならない。
「日本が戦いに巻き込まれないよう細かく条件を付けて、それを成果として誇る」など、
「自分さえよければそれでよい」という性根をさらして悦に入っているだけの恥さらしでしかないのである。


「人権」がその本来の成り立ちを忘れられ、文章化された「人が生まれながらにして持つ」という
上辺だけの文言で語られるようになったことで、このように「人権を守るコストを他人に押し付ける薄っぺらな思考・主張」が
まかり通っているのは結局のところ問題解決を妨げているだけでしかない。

「人権」や「平和」を掲げている政党を見たら、それが「ただの誤謬になっていないか」
「人権や平和をうたい文句にした利権団体ではないか」をよく考え見極めて、
そういう政治家・政党には投票すべきではない。
既に述べたように、「人権」「平和」を謳い文句にしているだけでは結局人権も平和も何も実現できないからである。

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