Coronaviruses in Japan have been intentionally spread.
This is because the Sona Gakkai's scenario for winning elections should not allow the coronavirus to spread to Japan. So the damage of corona is hidden.
Moreover, China is an important customer in Soka Gakkai's interests. So Soka Gakkai does not recognize the politics that are unfriendly to China.
Also, inside the Liberal Democratic Party, secretary-general Toshihiro Nikai attaches great importance to China, so Japan cannot do anything against China.
The Soka Gakkai uses the threat of coronavirus to encourage self-restraint in economic activities and intentionally bankrupt SMEs and micro enterprises.
After the threat of coronavirus has subsided, Soka Gakkai is trying to dominate the Japanese economy by helping Soka Gakkai followers' companies and allocating and protecting public works.
An example of this is a company called "Youthbio" that received an order for a mask to be distributed in Japan. I suddenly place an order for a national-level procurement project with a micro enterprise that has no track record.
This "Youth Bio" company is run by a member of the Soka Gakkai. On the other hand, Japanese finance bureaucrats say, "Corrupting companies in the corona are crushing more and more."
As you can see, Soka Gakkai is using the coronavirus to control the Japanese economy.
And Japan will not be able to decide against China because Soka Gakkai will continue to make money from tourism income.
I would like you to consider such circumstances when you look at Japan.
1) Ecology of Soka Gakkai
The Soka Gakkai is spreading its power by parasiticing on the LDP.
_ Soka Gakkai holds power by creating interests by scattering taxes. The budget is being held by the LDP.
The LDP is dissatisfied. However, Soka Gakkai elects the members of the LDP by the follow-up election campaign.
This will allow the Soka Gakkai to overthrow the complaints of the LDP. The LDP cannot win elections without Soka Gakkai.
If Soka Gakkai feels that it has obtained sufficient power, it will win the election against the LDP and monopolize the parliamentary budget to gain full power.
The successful cases are the Governor of Tokyo and the Tokyo Metropolitan Assembly. Yuriko Koike, the Governor of Tokyo, cannot win without the support of Soka Gakkai.
Also in the Tokyo Metropolitan Government, a political party supported by the Soka Gakkai has won a big victory and has dominated the parliament.
The Soka Gakkai controls about 13 trillion yen, the annual budget of Tokyo.
2) Soka Gakkai's plan
The Soka Gakkai was planning a general election for the dissolution of the House of Representatives after the Tokyo Olympics.
■小池氏再選支持を示唆 都知事選で公明代表(2020年1月2日 15:00)
(Representative of the Komeito Party suggested Koike's support for re-election in the Governor of Tokyo)
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO54011870S0A100C2PE8000
>公明党の山口那津男代表は2日、都内で新年恒例の街頭演説に臨み、7月の東京都知事選で小池百合子知事の再選が望ましいとの考えを示唆した。
Representative of the Komeito Natsuko Yamaguchi attended the annual New Year's street address in Tokyo on January 2, 2020, and suggested that the re-election of Governor Yuriko Koike was desirable at the Tokyo Governor's election in July 2020.
>(中略)「衆院における次の挑戦がなされる可能性もないとは言えない」
"There is a possibility that the next challenge in the House of Representatives will be made."
>(中略)東京五輪・パラリンピック後に衆院解散・総選挙もあり得るとの見方を示した。
He pointed out that there may be a dissolution of the lower house and a general election after the Tokyo Olympics and Paralympics.
"Tokyo Olympics held" → "Victory in the Tokyo Governor election" → "Dissolution of the House of Representatives and victory in the general election" → "Soka Gakkai dominates the House of Representatives, just as the Tokyo Metropolitan Assembly"
The scenario can be assumed.
From the above, Soka Gakkai had to hold the Tokyo Olympics by any means.
Therefore, the spread of coronavirus could not be recognized in Japan. So the Japanese government did not test for coronavirus.
The Japanese government has instructed the people to treat themselves at home without any grounds, and if they die at home, the police treat them as strange deaths.
In addition, patients who died in hospitals are also counted as deaths due to pneumonia without checking for coronavirus.
This is because patients who have died cannot be tested for coronavirus because they are not covered by health insurance.
3) Tourism Interest created by Soka Gakkai
The Soka Gakkai continues to be the minister of the Ministry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism, and controls the interests in construction, civil engineering, and tourism.
In particular, we have made great gains by welcoming Chinese tourists, and China is the most important customer for Soka Gakkai.
Therefore, Soka Gakkai will not forgive policies that are not convenient to China.
4) Liberal Democratic Party Toshihiro Nikai
Toshihiro Nikai is famous as a politician who uses Japanese politics for China.
Shinzo Abe can't put together the LDP without Toshihiro Nikai. So Shinzo Abe cannot make a decision that is not convenient for China.
No matter how it looks on the surface, Japanese politics are no longer against China.
And the Soka Gakkai governs politics in Japan for its own benefit.
I would appreciate it if you could fully understand that.
Loser's bigger mouths -負け犬の遠吠え-
PCが盗み見されている可能性があるので、投稿したら魚拓を貼ります。
Monday, May 11, 2020
Wednesday, February 5, 2020
自分の家より他人の家に尽くす政治家の存在価値とは?
■自民・二階幹事長と小池知事が会談 都知事選の話は出ず
(毎日新聞2020年2月4日 19時10分(最終更新 2月4日 19時10分))
https://mainichi.jp/senkyo/articles/20200204/k00/00m/010/187000c
・自民党の二階幹事長と小池百合子都知事の会談。
・新型肺炎での中国への支援の話
・東京都はすでに2万着の防護服を提供済み。
・二階は追加で5~10万着を要請
・小池百合子都知事は・・・
>小池氏は会談後、記者団に
>「都の備蓄体制は整っているので、詳細はこれから詰めたい」
>と前向きな姿勢を示した。
・都知事選の話は無かった
日本国内でも感染が発生しているのに、東京の防護資材を吐き出してどうやって東京を守るの?
そりゃ都知事選の話なんかできないでしょ
「東京都を預かる都知事が東京の防護資材を中国に大放出してる」のだから。
東京都知事は東京都民を守る責任と義務があるんじゃないの?
ていうか東京都は「首都圏」の労働人口が毎日集中する場所なんだから、
東京の防疫体制が弱体化すると首都圏3000万人の人口に新型肺炎が蔓延するばかりか
国家の機能まで麻痺してしまうんだけど?
そういう場所で知事やってる自覚あるのか?このオバアチャンは?
で、「与党の幹事長」の立場を使って首都の防疫資材を吐き出させる二階って
日本を滅ぼしたいのかな?
https://megalodon.jp/2020-0206-0605-11/https://losersbiggermouths.blogspot.com:443/2020/02/blog-post_5.html
(毎日新聞2020年2月4日 19時10分(最終更新 2月4日 19時10分))
https://mainichi.jp/senkyo/articles/20200204/k00/00m/010/187000c
・自民党の二階幹事長と小池百合子都知事の会談。
・新型肺炎での中国への支援の話
・東京都はすでに2万着の防護服を提供済み。
・二階は追加で5~10万着を要請
・小池百合子都知事は・・・
>小池氏は会談後、記者団に
>「都の備蓄体制は整っているので、詳細はこれから詰めたい」
>と前向きな姿勢を示した。
・都知事選の話は無かった
日本国内でも感染が発生しているのに、東京の防護資材を吐き出してどうやって東京を守るの?
そりゃ都知事選の話なんかできないでしょ
「東京都を預かる都知事が東京の防護資材を中国に大放出してる」のだから。
東京都知事は東京都民を守る責任と義務があるんじゃないの?
ていうか東京都は「首都圏」の労働人口が毎日集中する場所なんだから、
東京の防疫体制が弱体化すると首都圏3000万人の人口に新型肺炎が蔓延するばかりか
国家の機能まで麻痺してしまうんだけど?
そういう場所で知事やってる自覚あるのか?このオバアチャンは?
で、「与党の幹事長」の立場を使って首都の防疫資材を吐き出させる二階って
日本を滅ぼしたいのかな?
https://megalodon.jp/2020-0206-0605-11/https://losersbiggermouths.blogspot.com:443/2020/02/blog-post_5.html
Tuesday, February 4, 2020
「福祉の党」が掲げる政策の帰結
公明党(創価学会)の政策は「福祉制度による階級社会の実現」にほかならない
公明党の政策サイトを見てみよう。
https://www.komei.or.jp/komeipolicy/
>「公明党」は、<生命・生活・生存>を最大に尊重する人間主義を貫き、
「生きることを最大限に尊重」すると言えば聞こえはいいが、
生きていく中で人と人の利害の対立は避けられない。
「人間主義」という言葉には「人間同士の利害の対立をどう解決するのか」についての観点が
含まれていない。
本来、政治とはこの利害の対立をどう解消するのかという問題がついて回るはずなのだが、
その解決から意図的に逃げている無責任な宣言である。
>人間・人類の幸福追求を目的とする、開かれた国民政党です。
「国民政党」を標榜するのであれば「国民の幸福追求」を目的とすべき。
この書き方では、まるで「国民政党が、すべての人間・すべての人類の幸福を追求する」かのように読めてしまう。
まあ、公明党(創価学会)は、今までに27回だったか、「外国人参政権法案を提出」して
そのたびに自民党に潰されている組織だから当然なのかもしれない。
>ここでは、公明党が現在重点を置いている政策、選挙ごとのマニフェストなどを掲載しています。
[理念]子育て・教育こそ希望
[理念]「平和の党」が金看板
[理念]「大衆福祉」の推進力
[理念]小さな声を、聴く力
[理念]原発ゼロの社会へ
・・・・・「福祉という名のバラマキ(財政の圧迫)」と「原発ゼロ」という
「エネルギー安全保障の足枷」そして原子力技術者の根絶。
そして一目瞭然だが「産業の育成が主要政策に取り上げられていない」。
政策のトップに掲げられている「教育の無償化」であるが、これはそもそも
「十分な教育を受けられるだけの収入を国民に保証できる政策を持っていない」
ということの裏返しなのであって、
「無償化した教育の費用は、結局増税でむしり取る」
だけのことなのである。
全ての戦争は例外なく経済問題で発生するので、
戦争を無くしたいのならば戦争が発生している地域の人々が、
戦争しなくても豊かに暮らしてゆけるような手助けをすべき。
同様に、国民が十分な教育を受けられるようにしたいなら、
子供に十分な教育を受けさせるために、親の世代の収入が上がるような政策を打ち出せばよいだけ。
「教育の無償化」は「本質的な解決には一切なっていない」。
このように、「福祉を掲げて政治を行う」政党は「その福祉を賄っているカネが、だれが支払ったものなのか」を
議論することは全く無い。
福祉政策で国家財政を圧迫し、「このままでは福祉政策をやめなければならなくなるから増税しろ」と
財務省官僚とグルになって一般の国民から税金をむさぼるのである。
福祉政策が充実すれば充実するほど、財源として一般人への税金が引き上げられ、
その福祉を受けられない一般人がイジメられるだけである。
そして、財源が有限であるがゆえに、その福祉を受けられる人は限られる、
よって、「公明党(創価学会)を支援する人ほど福祉(お金)をもらえる」などの
不平等が発生する。
ここに言及していない時点でその発想の無責任さは証明されたも同然であり、
「一般の日本人の納めた税金で、スウェーデンと同じ規模の予算を支配したい気持ちがあからさま」である。
https://megalodon.jp/2020-0205-0518-06/https://losersbiggermouths.blogspot.com:443/2020/02/blog-post_7.html
公明党の政策サイトを見てみよう。
https://www.komei.or.jp/komeipolicy/
>「公明党」は、<生命・生活・生存>を最大に尊重する人間主義を貫き、
「生きることを最大限に尊重」すると言えば聞こえはいいが、
生きていく中で人と人の利害の対立は避けられない。
「人間主義」という言葉には「人間同士の利害の対立をどう解決するのか」についての観点が
含まれていない。
本来、政治とはこの利害の対立をどう解消するのかという問題がついて回るはずなのだが、
その解決から意図的に逃げている無責任な宣言である。
>人間・人類の幸福追求を目的とする、開かれた国民政党です。
「国民政党」を標榜するのであれば「国民の幸福追求」を目的とすべき。
この書き方では、まるで「国民政党が、すべての人間・すべての人類の幸福を追求する」かのように読めてしまう。
まあ、公明党(創価学会)は、今までに27回だったか、「外国人参政権法案を提出」して
そのたびに自民党に潰されている組織だから当然なのかもしれない。
>ここでは、公明党が現在重点を置いている政策、選挙ごとのマニフェストなどを掲載しています。
[理念]子育て・教育こそ希望
[理念]「平和の党」が金看板
[理念]「大衆福祉」の推進力
[理念]小さな声を、聴く力
[理念]原発ゼロの社会へ
・・・・・「福祉という名のバラマキ(財政の圧迫)」と「原発ゼロ」という
「エネルギー安全保障の足枷」そして原子力技術者の根絶。
そして一目瞭然だが「産業の育成が主要政策に取り上げられていない」。
政策のトップに掲げられている「教育の無償化」であるが、これはそもそも
「十分な教育を受けられるだけの収入を国民に保証できる政策を持っていない」
ということの裏返しなのであって、
「無償化した教育の費用は、結局増税でむしり取る」
だけのことなのである。
全ての戦争は例外なく経済問題で発生するので、
戦争を無くしたいのならば戦争が発生している地域の人々が、
戦争しなくても豊かに暮らしてゆけるような手助けをすべき。
同様に、国民が十分な教育を受けられるようにしたいなら、
子供に十分な教育を受けさせるために、親の世代の収入が上がるような政策を打ち出せばよいだけ。
「教育の無償化」は「本質的な解決には一切なっていない」。
このように、「福祉を掲げて政治を行う」政党は「その福祉を賄っているカネが、だれが支払ったものなのか」を
議論することは全く無い。
福祉政策で国家財政を圧迫し、「このままでは福祉政策をやめなければならなくなるから増税しろ」と
財務省官僚とグルになって一般の国民から税金をむさぼるのである。
福祉政策が充実すれば充実するほど、財源として一般人への税金が引き上げられ、
その福祉を受けられない一般人がイジメられるだけである。
そして、財源が有限であるがゆえに、その福祉を受けられる人は限られる、
よって、「公明党(創価学会)を支援する人ほど福祉(お金)をもらえる」などの
不平等が発生する。
ここに言及していない時点でその発想の無責任さは証明されたも同然であり、
「一般の日本人の納めた税金で、スウェーデンと同じ規模の予算を支配したい気持ちがあからさま」である。
https://megalodon.jp/2020-0205-0518-06/https://losersbiggermouths.blogspot.com:443/2020/02/blog-post_7.html
「日本のことを好きな韓国人」「日韓の架け橋」という詭弁
■「韓国人」とひとくくりにする人たちへ──日本との縁を育んできた韓国人たちの物語(2020年2月4日(火)06時45分)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/02/post-92294.php
>今号は韓国人だ。過去最悪に陥った日韓関係の中で、韓国人は全員「反日」だと捉え、
>それに対抗するかのように、韓国政府に限らず「韓国人」全体を批判する日本人――。
>日本のカルチャーを敬愛する韓国人を紹介することで、そうした風潮に対しても、
>日本と韓国の間に確かに存在するつながりを再提示できればと願っている。
■詭弁「論点のすり替え(Ignoratio elenchi)」
論じている内容とはちがう話題(主題)を提示することで論点をそらすもの。
論理性が未熟なために陥る場合は誤謬であるが、意識的におこなう場合は詭弁となる。
日本人から韓国人に対する「反日だという認識」に対して、
「日本の文化を好きかどうか」を持ち出してきて反論しようとしている。
「韓国人から日本人への反日行為」は、諸外国に対して日本を貶める話を吹き込んだり
日本に対して謝罪要求と賠償要求を繰り返したり、挙句の果てには国家同士の条約まで
破り捨ててカネの無心にしがみつく行為にまで及んでいる。
このような実害に対して、「日本の文化を好きかどうか」など何の意味も価値もない判定基準であることを
この記事は隠蔽している。
■心理学「好意の返報性」の「強要」
誰かが自分に好意を持って接してくれていると、自分はその誰かに対して
やはり好意的に接するようになるという反応。
ここでは、「日本人に対して」「韓国人はこんなにあなた方のことが好きなんだよ」と
「韓国人から日本人への好意的な行い」を提示することで、
「日本人から韓国人への好意的な反応を誘発しようとしている」。
これはあからさまな「好意の押し付け」でしかなく、
「国家として日本との条約を踏みにじったことへのカウンターにはなりえない」。
好意はどうでもいいから条約を守れやと言われて終わりである。
■観点の偏り(Перспектива)
紛争の報道において、どちらか一方の主張のみを取り上げ、他者の立場を無視する。いわゆるスピン。
ここでは、日韓の対立に対して韓国側の言い訳だけを取り上げており
日本側の立場は取り上げていない。これは非常に一方的な構成である。
そもそも「では、韓国内で韓国人とつながりを築いてきた日本人はなぜ今まで一人もいないのか?」という質問には
答えられない。
日本が戦争で負けた後、韓国人は一斉に日本人を虐殺した。朝鮮半島残留日本人孤児が今まで一人もいないのは、
朝鮮半島にいた日本人が、韓国人によって全て殺しつくされたからに過ぎない。
「在日朝鮮民族は日韓の架け橋だ」という言葉は数年ごとに飽きることなく繰り返される媚であるが、
「韓国国内で韓国人と絆をはぐくんできた日本人が一人も存在しない時点で韓国人は日本人の敵」だと
繰り返し証明しているに過ぎず、その点に考えが至らない時点でもう論評に値しない。
寧ろ日本人を心底見下しているからこのような言動をとれるのである。
https://megalodon.jp/2020-0205-0446-53/https://losersbiggermouths.blogspot.com:443/2020/02/blog-post_35.html
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/02/post-92294.php
>今号は韓国人だ。過去最悪に陥った日韓関係の中で、韓国人は全員「反日」だと捉え、
>それに対抗するかのように、韓国政府に限らず「韓国人」全体を批判する日本人――。
>日本のカルチャーを敬愛する韓国人を紹介することで、そうした風潮に対しても、
>日本と韓国の間に確かに存在するつながりを再提示できればと願っている。
■詭弁「論点のすり替え(Ignoratio elenchi)」
論じている内容とはちがう話題(主題)を提示することで論点をそらすもの。
論理性が未熟なために陥る場合は誤謬であるが、意識的におこなう場合は詭弁となる。
日本人から韓国人に対する「反日だという認識」に対して、
「日本の文化を好きかどうか」を持ち出してきて反論しようとしている。
「韓国人から日本人への反日行為」は、諸外国に対して日本を貶める話を吹き込んだり
日本に対して謝罪要求と賠償要求を繰り返したり、挙句の果てには国家同士の条約まで
破り捨ててカネの無心にしがみつく行為にまで及んでいる。
このような実害に対して、「日本の文化を好きかどうか」など何の意味も価値もない判定基準であることを
この記事は隠蔽している。
■心理学「好意の返報性」の「強要」
誰かが自分に好意を持って接してくれていると、自分はその誰かに対して
やはり好意的に接するようになるという反応。
ここでは、「日本人に対して」「韓国人はこんなにあなた方のことが好きなんだよ」と
「韓国人から日本人への好意的な行い」を提示することで、
「日本人から韓国人への好意的な反応を誘発しようとしている」。
これはあからさまな「好意の押し付け」でしかなく、
「国家として日本との条約を踏みにじったことへのカウンターにはなりえない」。
好意はどうでもいいから条約を守れやと言われて終わりである。
■観点の偏り(Перспектива)
紛争の報道において、どちらか一方の主張のみを取り上げ、他者の立場を無視する。いわゆるスピン。
ここでは、日韓の対立に対して韓国側の言い訳だけを取り上げており
日本側の立場は取り上げていない。これは非常に一方的な構成である。
そもそも「では、韓国内で韓国人とつながりを築いてきた日本人はなぜ今まで一人もいないのか?」という質問には
答えられない。
日本が戦争で負けた後、韓国人は一斉に日本人を虐殺した。朝鮮半島残留日本人孤児が今まで一人もいないのは、
朝鮮半島にいた日本人が、韓国人によって全て殺しつくされたからに過ぎない。
「在日朝鮮民族は日韓の架け橋だ」という言葉は数年ごとに飽きることなく繰り返される媚であるが、
「韓国国内で韓国人と絆をはぐくんできた日本人が一人も存在しない時点で韓国人は日本人の敵」だと
繰り返し証明しているに過ぎず、その点に考えが至らない時点でもう論評に値しない。
寧ろ日本人を心底見下しているからこのような言動をとれるのである。
https://megalodon.jp/2020-0205-0446-53/https://losersbiggermouths.blogspot.com:443/2020/02/blog-post_35.html
「人権」または「福祉政策」という「合成の誤謬」
過去の投稿で既に述べたように、「人権」は「代償を払って贖うもの」であることが忘れ去られ
「生まれながらにして保障されるべきもの」となってしまった。
これにより、「人権を維持するコスト」という観点も消滅してしまった。
これにより「人権のコストは他人に考えさせて、とにかく人権を訴えて国家予算を分捕れば利権にできる」
という政治手法が成立した。
しかし、「誰かの人権を守ること」は「違う誰かに増税すること」を意味する。
ここに「人権を都合よく使って自分だけいい顔をしつつ、そのコストをいかに他人に背負わせるか」
という「商売」が成立した。
「福祉」という言葉はとても正しいように見える。
しかし、「福祉が必要になる事態が無ければ、そもそも福祉政策など要らない」のである。
福祉政策を考える以上に、個々人の収入が増えるように、もっと付加価値を生み出して
稼げるように自立を促し社会の問題を解決するほうがより重要なはずである。
「収入が少ない人」を探し出して「税金をそこに流す政策」を打ち立てる行為は
「結局、人権を盾にして税金をばらまき、その実績を盾にして自分の支持者を増やす行為」に過ぎない。
「人権」を守るための費用は「成立以降、固定費として永遠に支出が発生する費目」となる。
「福祉政策に力を入れれば入れるほど、そのコストを違う誰かに背負わせて結局増税する羽目になる」。
福祉政策にかかるコストは固定費として一方的に積みあがるだけなのでまず減ることは無い。
不景気になって税収が下がっても、福祉政策の費用を削ると猛反対が起きてそういう政治家や政党は落選していく。
そしていつしか福祉政策の予算は国の財政を圧迫して寧ろ国家財政を破綻させる事態になる。
すると福祉政策で保護されている者は生活が守られ、一般人はそのコストを背負わされるという
「福祉による階級社会」が成立し、「福祉で守られる立場に入れてくれる政党に従う者が特権階級」となる。
これにより「自分の支持者に福祉政策で税金を注入し囲い込み、自分を支持しない者には福祉政策の恩恵を剥ぎ取って税金を支払わせる」
という「福祉を使った国家内封建制度」が完成する。
このように、
「自分だけをいい人に見せて、そのコストを増税の形でその他の一般人に支払わせる」のが
「福祉の党」の本質である。
同様のことが「平和」政策についても言える。
人権は、結局のところ、実力行使の能力によってしか保障されない。これはかこの投稿で記述した。
そもそも平和とは、戦争の終わりから次の戦争へ至るまでの準備期間に過ぎず、そしてまた戦争は
例外なく経済問題の解決のために選択される。
ゆえに、「戦争したくないなら自分自身を含めた世界の経済問題を積極的に解決してゆくしかない」のである。
要するに「食い詰めたら誰だって武器を手にして他人の物を奪い始める」のである。なぜなら
「食い詰めなければならないほど自分を拒絶し打ち捨てた世界など、社会など、他人など、
ぶち壊しても殺戮しても心は痛まない」からである。
「衣食足りて礼節を知る」の言葉通り、自分の力で働いて収入を得て、
他人の役に立つことで・世の中の役に立つことで日々の暮らしを営める「自己効力感」があってはじめて
人は人としての尊厳を自覚し自立して生きていくことができる。
また、さまざまな天然資源がある地域は、その資源の所有をめぐって奪い合いが起こる。
中東の原油などはよい例である。あと100年もすれば、本当に何もない砂漠と荒れ地になるだけなのに、
原油の利権をめぐって欧米諸国の代理戦争を繰り返して消耗するばかり。
将来の子孫に天然資源をいかに残すかなど考えもせずに今だけ豪華な暮らしをしている中東の王族を見ていると
本当に目先のことしか考えていないと呆れるしかない。
こうした「資源をめぐる争い」がある限り戦争はなくならない。
ならばその奪い合いをどう調停するのか?どうすればその調停に立つ資格を得られるのか?
を考えて実践しなければならない。
それなのに、条件反射的に「武力行使に制限をかけて平和の実現を勝ち誇る」という思考の短絡した傲慢が
日本ではまかりとおっている。
これは「平和という概念の本質を全く分かっていない」といってよい。
ヒトがヒトと争わねばならない事態の本質を解決しようともしないで、
ただ単純に「武力行使に歯止めをかければそれが平和への取り組みだ」とか
物事の表面しか見ていない薄っぺらな思考回路をさらして恥じない無能でしかない。
自分たちだけが武力行使に制限をかけた分、自分たちの平和()は違う誰かがそのコストを支払って守っているのである。
その誰かが永遠に自分たちを守ってくれる保障が無い以上、私たちは私たち自身の手で私たちを守れるよう、
備えを万全にし力をつけなければならない。
「日本が戦いに巻き込まれないよう細かく条件を付けて、それを成果として誇る」など、
「自分さえよければそれでよい」という性根をさらして悦に入っているだけの恥さらしでしかないのである。
「人権」がその本来の成り立ちを忘れられ、文章化された「人が生まれながらにして持つ」という
上辺だけの文言で語られるようになったことで、このように「人権を守るコストを他人に押し付ける薄っぺらな思考・主張」が
まかり通っているのは結局のところ問題解決を妨げているだけでしかない。
「人権」や「平和」を掲げている政党を見たら、それが「ただの誤謬になっていないか」
「人権や平和をうたい文句にした利権団体ではないか」をよく考え見極めて、
そういう政治家・政党には投票すべきではない。
既に述べたように、「人権」「平和」を謳い文句にしているだけでは結局人権も平和も何も実現できないからである。
https://megalodon.jp/2020-0205-0210-00/https://losersbiggermouths.blogspot.com:443/2020/02/blog-post_96.html
「生まれながらにして保障されるべきもの」となってしまった。
これにより、「人権を維持するコスト」という観点も消滅してしまった。
これにより「人権のコストは他人に考えさせて、とにかく人権を訴えて国家予算を分捕れば利権にできる」
という政治手法が成立した。
しかし、「誰かの人権を守ること」は「違う誰かに増税すること」を意味する。
ここに「人権を都合よく使って自分だけいい顔をしつつ、そのコストをいかに他人に背負わせるか」
という「商売」が成立した。
「福祉」という言葉はとても正しいように見える。
しかし、「福祉が必要になる事態が無ければ、そもそも福祉政策など要らない」のである。
福祉政策を考える以上に、個々人の収入が増えるように、もっと付加価値を生み出して
稼げるように自立を促し社会の問題を解決するほうがより重要なはずである。
「収入が少ない人」を探し出して「税金をそこに流す政策」を打ち立てる行為は
「結局、人権を盾にして税金をばらまき、その実績を盾にして自分の支持者を増やす行為」に過ぎない。
「人権」を守るための費用は「成立以降、固定費として永遠に支出が発生する費目」となる。
「福祉政策に力を入れれば入れるほど、そのコストを違う誰かに背負わせて結局増税する羽目になる」。
福祉政策にかかるコストは固定費として一方的に積みあがるだけなのでまず減ることは無い。
不景気になって税収が下がっても、福祉政策の費用を削ると猛反対が起きてそういう政治家や政党は落選していく。
そしていつしか福祉政策の予算は国の財政を圧迫して寧ろ国家財政を破綻させる事態になる。
すると福祉政策で保護されている者は生活が守られ、一般人はそのコストを背負わされるという
「福祉による階級社会」が成立し、「福祉で守られる立場に入れてくれる政党に従う者が特権階級」となる。
これにより「自分の支持者に福祉政策で税金を注入し囲い込み、自分を支持しない者には福祉政策の恩恵を剥ぎ取って税金を支払わせる」
という「福祉を使った国家内封建制度」が完成する。
このように、
「自分だけをいい人に見せて、そのコストを増税の形でその他の一般人に支払わせる」のが
「福祉の党」の本質である。
同様のことが「平和」政策についても言える。
人権は、結局のところ、実力行使の能力によってしか保障されない。これはかこの投稿で記述した。
そもそも平和とは、戦争の終わりから次の戦争へ至るまでの準備期間に過ぎず、そしてまた戦争は
例外なく経済問題の解決のために選択される。
ゆえに、「戦争したくないなら自分自身を含めた世界の経済問題を積極的に解決してゆくしかない」のである。
要するに「食い詰めたら誰だって武器を手にして他人の物を奪い始める」のである。なぜなら
「食い詰めなければならないほど自分を拒絶し打ち捨てた世界など、社会など、他人など、
ぶち壊しても殺戮しても心は痛まない」からである。
「衣食足りて礼節を知る」の言葉通り、自分の力で働いて収入を得て、
他人の役に立つことで・世の中の役に立つことで日々の暮らしを営める「自己効力感」があってはじめて
人は人としての尊厳を自覚し自立して生きていくことができる。
また、さまざまな天然資源がある地域は、その資源の所有をめぐって奪い合いが起こる。
中東の原油などはよい例である。あと100年もすれば、本当に何もない砂漠と荒れ地になるだけなのに、
原油の利権をめぐって欧米諸国の代理戦争を繰り返して消耗するばかり。
将来の子孫に天然資源をいかに残すかなど考えもせずに今だけ豪華な暮らしをしている中東の王族を見ていると
本当に目先のことしか考えていないと呆れるしかない。
こうした「資源をめぐる争い」がある限り戦争はなくならない。
ならばその奪い合いをどう調停するのか?どうすればその調停に立つ資格を得られるのか?
を考えて実践しなければならない。
それなのに、条件反射的に「武力行使に制限をかけて平和の実現を勝ち誇る」という思考の短絡した傲慢が
日本ではまかりとおっている。
これは「平和という概念の本質を全く分かっていない」といってよい。
ヒトがヒトと争わねばならない事態の本質を解決しようともしないで、
ただ単純に「武力行使に歯止めをかければそれが平和への取り組みだ」とか
物事の表面しか見ていない薄っぺらな思考回路をさらして恥じない無能でしかない。
自分たちだけが武力行使に制限をかけた分、自分たちの平和()は違う誰かがそのコストを支払って守っているのである。
その誰かが永遠に自分たちを守ってくれる保障が無い以上、私たちは私たち自身の手で私たちを守れるよう、
備えを万全にし力をつけなければならない。
「日本が戦いに巻き込まれないよう細かく条件を付けて、それを成果として誇る」など、
「自分さえよければそれでよい」という性根をさらして悦に入っているだけの恥さらしでしかないのである。
「人権」がその本来の成り立ちを忘れられ、文章化された「人が生まれながらにして持つ」という
上辺だけの文言で語られるようになったことで、このように「人権を守るコストを他人に押し付ける薄っぺらな思考・主張」が
まかり通っているのは結局のところ問題解決を妨げているだけでしかない。
「人権」や「平和」を掲げている政党を見たら、それが「ただの誤謬になっていないか」
「人権や平和をうたい文句にした利権団体ではないか」をよく考え見極めて、
そういう政治家・政党には投票すべきではない。
既に述べたように、「人権」「平和」を謳い文句にしているだけでは結局人権も平和も何も実現できないからである。
https://megalodon.jp/2020-0205-0210-00/https://losersbiggermouths.blogspot.com:443/2020/02/blog-post_96.html
パヨクはなぜこれほどまでに低知能なのか
ネットの普及に伴うネット集合知の発達により、昭和を支配していた「マスゴミという名の権力」は
平成の終盤に一気に崩壊した。
収入も地位も能力も関係なく、開かれた場で共有される情報とその検討により、
マスゴミとパヨクが築き上げてきた権威はその正体を見破られ否定され自壊するに至った。
では、そもそもなぜパヨクはこれほどまでに無能だったのか?
その答えは「人権の成り立ち」に由来する。
人権とは「人間が生まれながらにして備えている権利」と規定される。
パヨクは、この「人権」を使うことを生業にしてきたため知能を退化させてしまったのである。
以前の記事「人権は存在しない。ただの幻想である 」で記載したが、
https://losersbiggermouths.blogspot.com/2020/01/blog-post.html
「人権」は、「君主国家による支配」を否定するために、「開拓者たちと商人たち」が作り上げた対抗論理にすぎない。
1776年のアメリカで起草されたバージニア権利章典は、コトバンクの記述によると
https://kotobank.jp/word/バージニア権利章典
>天賦人権論に立ってその権利を国法上宣言した歴史上最初の文書。
と記載されている。
「天賦人権論」とは、「人は生まれながらにして不可侵の権利を持っている」という考え方である。
当時のアメリカは、イギリスの植民地であり、イギリスの覇権確立戦争を支えるために
重税を課されて喘いでいた。
「俺たちはなぜこんなに税金をとられるんだ?」
「俺たちの税金はイギリスがむしり取っていく。イギリスは君主国家だ。君主国家が俺たちを奴隷にしている」
「君主国家の統治は神が王に与えたものだ」(まあイギリスは議会制君主国家であり、このころすでに王は君臨すれども統治せずだったわけですが)
「王の権威・正当性は神が与えたものらしい」
「俺たちを奴隷にしているイギリスの君主制度は神が正当化するものだ」
「ならば俺たちが俺たち自身の主人であるためには、神によらない俺たち自身の正当化が必要だ」
「俺たちは生まれながらにして自由だ!」
「俺たちは俺たちであるだけで、生まれながらにして他人から支配されない!」
「誰も俺たちを支配できない!俺たちが、俺たちであるからだ!」
アメリカへ移民した白人たちは、現地の親切なアメリカ先住民の助けを受けてさえ、
最初の冬で半分が死んだ。
そんな過酷な環境を必死に生き抜いて、荒れ地を開拓してようやく食いつないだと思ったら
イギリス本国からの重税で財産を絞り取られた・・・・
「俺たちはただここで生まれ、毎日必死に生きているだけなのに。
イギリス本国の野郎どもから何かしてもらったことなど何もないのに。
それなのに、働いても働いてもいろんなものに税金を課されて奪われる」
そんな本国など要らない
そんな君主など要らない
そんな君主に権威を授けた神など要らない
俺たちは、俺たちであるだけで誰からも支配されない!
俺たちの自由は不可侵であり、誰にも邪魔されるものではない!たとえ神であっても!
神から権威を授かった君主国家であるイギリスからの重税を否定するために、
そのイギリス君主制を否定するために、
「俺たちは(神などに与えられなくても)生まれながらにして不可侵の権利を有する!神であろうと邪魔はさせない!」
と宣言したのがバージニア権利章典であり、「基本的人権」の旭光であった。
ここで重要なのは「人は生まれながらにして」の部分である。
当時のアメリカ人が自分たちの暮らし・独立を守るために生み出したものであるため、
「人は」は当然「俺たちは」であり、「生まれながらにして」とは
「一冬で人口の半数が弱い者から死に絶える絶望の地で生を授かり、そんな過酷な土地で生き抜いた者」
を意味している。
「過酷な未開地を切り開いて強く逞しく生き抜いている俺たちは、その自由を誰にも邪魔されないし邪魔させない」
という内容が「バージニア権利章典」の本当の意味なのである。
厳しい生活環境で、たくさんの人や子供などが若くして命を落としたと思う。
未開の地で、いろんな不足を忍んで日々の暮らしを営んでいたと思う。
そのような暮らしを、自分たちの努力で生き抜くからこそ、その暮らしを誰にも邪魔される謂れはない。
実に当たり前のことである。
それが「基本的人権」の始まりである。
「権利」とは本来「代償を以て贖い、初めて主張できるモノ」だったのである。
しかし。「人権」は「基本的人権」「自然権」といった形に「抽象化」されてしまった。
アメリカの開拓時代初期のような厳しい生活環境を耐え忍ぶといったようなハードルは取り払われ、
「人は生まれながらにして不可侵の権利を持つ」
と、過度に汎用的な表現で規定されてしまった。
「ヒト」であるだけでよい。
「生まれただけ」でよい。
それだけで「権利」を保障される。
権利の希少価値が大暴落である。
「これは商売になる!」と漬け込んだのが「人権擁護論者」であった。
「人権」の本来の前提条件は忘れ去られてしまったので、
何も代償を支払わなくとも「他人と比較して不足を見つけるだけで」「権利」を主張できることを
思いついたのである。
自分の収入が少なければ「人権侵害」だと言えばいい
他人のほうが自分よりも多くを持っていたら、それは「自分の人権が侵害されている」証拠だと言えばいい
「人権を主張するための代償」も忘れ去られたので、もはや「人権を維持するコスト」を考えなくていい
「人権はカネになる」のである。
日本のパヨクはこれを最大限利用し、「人権を主張して生きることに過剰に最適化」してしまった。
「いかに人権を言い立てるのか」しか考えず、
「とにかく人権を喚き散らせばカネになる」
「人権侵害を差別と読み替えて、他人に対して道徳的優位を確立すればもっともっとカネになる」
そう考え、それに自分のすべてを最適化してしまったのがパヨクであった。
ゆえにパヨクの思考回路の中では「いかに差別主義者のレッテルを貼り付けるのか」だけが興味の対象となり
「差別主義者のレッテルをいかにして貼り付けるのか?」
だけが関心ごととなった。
物事の因果関係も、論理的な議論も関係なく、どんな手段を使ってでも、相手に
差別主義者のレッテルを貼り付ける能力が高いほど優秀とされた。
以上のことより、パヨクの思考回路は「相手に差別主義者のレッテルを貼りつけることだけが目的」の場合が多く
それさえできれば道徳的優位を確立して相手を人格否定すればよいため、それ以上考えることが無いのである。
だからパヨクの論客()は概して無能かつ支離滅裂なのである。
https://megalodon.jp/2020-0205-0057-41/https://losersbiggermouths.blogspot.com:443/2020/02/blog-post_0.html
平成の終盤に一気に崩壊した。
収入も地位も能力も関係なく、開かれた場で共有される情報とその検討により、
マスゴミとパヨクが築き上げてきた権威はその正体を見破られ否定され自壊するに至った。
では、そもそもなぜパヨクはこれほどまでに無能だったのか?
その答えは「人権の成り立ち」に由来する。
人権とは「人間が生まれながらにして備えている権利」と規定される。
パヨクは、この「人権」を使うことを生業にしてきたため知能を退化させてしまったのである。
以前の記事「人権は存在しない。ただの幻想である 」で記載したが、
https://losersbiggermouths.blogspot.com/2020/01/blog-post.html
「人権」は、「君主国家による支配」を否定するために、「開拓者たちと商人たち」が作り上げた対抗論理にすぎない。
1776年のアメリカで起草されたバージニア権利章典は、コトバンクの記述によると
https://kotobank.jp/word/バージニア権利章典
>天賦人権論に立ってその権利を国法上宣言した歴史上最初の文書。
と記載されている。
「天賦人権論」とは、「人は生まれながらにして不可侵の権利を持っている」という考え方である。
当時のアメリカは、イギリスの植民地であり、イギリスの覇権確立戦争を支えるために
重税を課されて喘いでいた。
「俺たちはなぜこんなに税金をとられるんだ?」
「俺たちの税金はイギリスがむしり取っていく。イギリスは君主国家だ。君主国家が俺たちを奴隷にしている」
「君主国家の統治は神が王に与えたものだ」(まあイギリスは議会制君主国家であり、このころすでに王は君臨すれども統治せずだったわけですが)
「王の権威・正当性は神が与えたものらしい」
「俺たちを奴隷にしているイギリスの君主制度は神が正当化するものだ」
「ならば俺たちが俺たち自身の主人であるためには、神によらない俺たち自身の正当化が必要だ」
「俺たちは生まれながらにして自由だ!」
「俺たちは俺たちであるだけで、生まれながらにして他人から支配されない!」
「誰も俺たちを支配できない!俺たちが、俺たちであるからだ!」
アメリカへ移民した白人たちは、現地の親切なアメリカ先住民の助けを受けてさえ、
最初の冬で半分が死んだ。
そんな過酷な環境を必死に生き抜いて、荒れ地を開拓してようやく食いつないだと思ったら
イギリス本国からの重税で財産を絞り取られた・・・・
「俺たちはただここで生まれ、毎日必死に生きているだけなのに。
イギリス本国の野郎どもから何かしてもらったことなど何もないのに。
それなのに、働いても働いてもいろんなものに税金を課されて奪われる」
そんな本国など要らない
そんな君主など要らない
そんな君主に権威を授けた神など要らない
俺たちは、俺たちであるだけで誰からも支配されない!
俺たちの自由は不可侵であり、誰にも邪魔されるものではない!たとえ神であっても!
神から権威を授かった君主国家であるイギリスからの重税を否定するために、
そのイギリス君主制を否定するために、
「俺たちは(神などに与えられなくても)生まれながらにして不可侵の権利を有する!神であろうと邪魔はさせない!」
と宣言したのがバージニア権利章典であり、「基本的人権」の旭光であった。
ここで重要なのは「人は生まれながらにして」の部分である。
当時のアメリカ人が自分たちの暮らし・独立を守るために生み出したものであるため、
「人は」は当然「俺たちは」であり、「生まれながらにして」とは
「一冬で人口の半数が弱い者から死に絶える絶望の地で生を授かり、そんな過酷な土地で生き抜いた者」
を意味している。
「過酷な未開地を切り開いて強く逞しく生き抜いている俺たちは、その自由を誰にも邪魔されないし邪魔させない」
という内容が「バージニア権利章典」の本当の意味なのである。
厳しい生活環境で、たくさんの人や子供などが若くして命を落としたと思う。
未開の地で、いろんな不足を忍んで日々の暮らしを営んでいたと思う。
そのような暮らしを、自分たちの努力で生き抜くからこそ、その暮らしを誰にも邪魔される謂れはない。
実に当たり前のことである。
それが「基本的人権」の始まりである。
「権利」とは本来「代償を以て贖い、初めて主張できるモノ」だったのである。
しかし。「人権」は「基本的人権」「自然権」といった形に「抽象化」されてしまった。
アメリカの開拓時代初期のような厳しい生活環境を耐え忍ぶといったようなハードルは取り払われ、
「人は生まれながらにして不可侵の権利を持つ」
と、過度に汎用的な表現で規定されてしまった。
「ヒト」であるだけでよい。
「生まれただけ」でよい。
それだけで「権利」を保障される。
権利の希少価値が大暴落である。
「これは商売になる!」と漬け込んだのが「人権擁護論者」であった。
「人権」の本来の前提条件は忘れ去られてしまったので、
何も代償を支払わなくとも「他人と比較して不足を見つけるだけで」「権利」を主張できることを
思いついたのである。
自分の収入が少なければ「人権侵害」だと言えばいい
他人のほうが自分よりも多くを持っていたら、それは「自分の人権が侵害されている」証拠だと言えばいい
「人権を主張するための代償」も忘れ去られたので、もはや「人権を維持するコスト」を考えなくていい
「人権はカネになる」のである。
日本のパヨクはこれを最大限利用し、「人権を主張して生きることに過剰に最適化」してしまった。
「いかに人権を言い立てるのか」しか考えず、
「とにかく人権を喚き散らせばカネになる」
「人権侵害を差別と読み替えて、他人に対して道徳的優位を確立すればもっともっとカネになる」
そう考え、それに自分のすべてを最適化してしまったのがパヨクであった。
ゆえにパヨクの思考回路の中では「いかに差別主義者のレッテルを貼り付けるのか」だけが興味の対象となり
「差別主義者のレッテルをいかにして貼り付けるのか?」
だけが関心ごととなった。
物事の因果関係も、論理的な議論も関係なく、どんな手段を使ってでも、相手に
差別主義者のレッテルを貼り付ける能力が高いほど優秀とされた。
以上のことより、パヨクの思考回路は「相手に差別主義者のレッテルを貼りつけることだけが目的」の場合が多く
それさえできれば道徳的優位を確立して相手を人格否定すればよいため、それ以上考えることが無いのである。
だからパヨクの論客()は概して無能かつ支離滅裂なのである。
https://megalodon.jp/2020-0205-0057-41/https://losersbiggermouths.blogspot.com:443/2020/02/blog-post_0.html
小池百合子のいい記事があったよ
■自民党にすり寄る小池百合子都知事 「東京大改革」の初心は忘れられたのか
(2月3日(月)14時11分 しらべぇ)
https://news.biglobe.ne.jp/trend/0203/srb_200203_1531963513.html より抜粋
■自民党幹部と会談
■知事選出馬の際の「3つの公約
■実現した公約は…
■「徹底した情報公開」から「情報隠蔽」に変遷
■かつての側近・音喜多都議の乱
■「公約と実態の不一致がいちばんの問題」
いろいろと突っ込みどころがあるオバアチャンだけど、
要点を簡潔にまとめて書いてあるのでポイントを押さえやすいと思います。
まあ創価学会に世話してもらわないと当選できない『要介護知事』ってところは
さすがに書けなかったみたいだけどね。
(2月3日(月)14時11分 しらべぇ)
https://news.biglobe.ne.jp/trend/0203/srb_200203_1531963513.html より抜粋
■自民党幹部と会談
■知事選出馬の際の「3つの公約
■実現した公約は…
■「徹底した情報公開」から「情報隠蔽」に変遷
■かつての側近・音喜多都議の乱
■「公約と実態の不一致がいちばんの問題」
いろいろと突っ込みどころがあるオバアチャンだけど、
要点を簡潔にまとめて書いてあるのでポイントを押さえやすいと思います。
まあ創価学会に世話してもらわないと当選できない『要介護知事』ってところは
さすがに書けなかったみたいだけどね。
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